近年、遺伝子(D.N.A)の研究が大幅に進歩して、これを調べることにより、特定の病気の原因や・・・癌などにかかりやすい人が、早期からある程度まで予測できるようになりました。その他、犯罪の捜査にも役立っていますよね。
耳鼻咽喉科の領域では、難聴の遺伝子が次々と発見されております。聴力の衰えには個人差があり、90歳でも日常会話可能な人もおり、60歳代でも不便な人がいます。今までにも「父や母が比較的若い時から耳が遠かったから、私も若年から難聴が進んだ。」などと、うすうす遺伝性が話題になってはおりましたが、その詳細がはっきりしてきたのは、ここ数年のことです。一方、平均寿命が長くなり、難聴を生じる年齢にまで生きのびる人が増えたこととも無関係ではないでしょう。
●ちょっと予備知識を・・・
ここの文中に出てくる「難聴」とは感音性難聴のことであり、伝音性難聴ではありません。前者は聴力の神経の障害によるもので、例を挙げれば加齢、病気、奇形、薬剤・・・などです。後者は音を伝える機械的部分の障害によるもので、中耳炎、鼓膜耳小骨の破損、中耳奇形・・・などです。伝音性難聴はその障害部分を人工鼓膜、骨などで修復して聴力の再獲得が可能です。一方、感音性難聴の場合、神経の再建は現在の医学でもほぼ不可能ですので、より問題なのです。
●話を本題に戻します・・・。
生後4歳までに発見される難聴児はおよそ1000人に2人位です。そして、その60~70パーセントは遺伝子が関係しています。この遺伝子のタイプにより難聴児の治療、予後、進行度などの重大な情報が判りますので、患児の相談・指導・治療がより適切に行えるようになりました。
現在、十数種類の難聴遺伝子が判明していますが、そのうちの最も身近なものを取り上げてみます。
「ミトコンドリア遺伝子1555A>G変異」・・・名前は忘れて下さい。
この遺伝子は難聴外来患者の3%を占めますが、アミノ配糖体抗生物質を投与されて難聴になった患者に限れば実に30%に見出されます。この遺伝子を持つ人はアミノ配糖体を含む薬剤の使用で聴神経が容易に傷つきやすいのです。アミノ配糖体薬剤の代表例は「ストレプトマイシン」でしょう。副作用が明らかでなかった時代に結核に対する特効薬として広く使用され、その撲滅に大きく寄与しました。が、一方多くの「ストマイつんぼ」を残し話題になりました。この遺伝子を持ち、かつアミノ配糖体抗生剤を投与されたら100%難聴になるわけでもなく・・・投与量、期間にもよる・・・また全く投与の経歴が無くとも稀に難聴になる場合があるものの、もし当時遺伝子検査が行われていたら「ストマイつんぼ」は殆ど避けられたのです。遺伝子が判明してきた他の難聴例については、あまりにも専門的になりますので省略しますが、遺伝子を調べることで新しい治療に光明が灯ったことは確かです。(付1;当時は「ストレプトマイシンによる難聴」が広く一般に「ストマイつんぼ」と呼ばれており、あえてそのまま記述しました。難聴者に対する差別の意は毛頭ございません。付2;アミノ配糖体の薬は他にカナマイシン、ゲンタマイシン、フラジオマイシンなどがあります)
「遺伝子治療の影」
私達は遺伝子治療の光の部分は大いに評価しますが、影の部分にも充分に留意して対処しなくてはなりません。遺伝子の検査により、あなたが「近い未来に乳癌・卵巣癌や大腸癌にかかる、あるいは盲目になってしまう」傾向をかなりの確率で知ることが出来ます。それを早くから知ることがはたして幸福でしょうか? 更にこのプライバシーが他に洩れたら・・・就職・結婚・保険など、その悪影響は計りしれません。遺伝子診断を受ける前に、その光と影を天秤に掛け、慎重な判断が必要です。